2015/08/26
No. 487
70年の大阪万博で、私はドイツ館に通い詰めていた。そこにある、外装の青い、球状のホールでは、カールハインツ・シュトックハウゼン(1928-2007)が会期中ずっと腰を据え、そう多くはない観衆を前にして、電子音楽の制作と演奏に取り組んでいた。同じように戦後ドイツをリードしてきたベルント・アロイス・ツィンマーマン(1918-70)の曲も録音で披露されていた記憶がある。今思えばすごい場所とめぐりあったものだ。ベートーベンの楽曲も流されはしていたが、ドイツ館はまさに刺激たっぷりの実験室だった。
それから45年経って、彼の最後の曲「若き詩人のためのレクイエム」がサントリーホールで日本初演の機会を得ることになった。男声合唱の響きを基盤にして、多様な楽器と、テープ録音を通して貫入するテクスト群が表情と刺激を与える曲。作曲者は、20世紀にある楽天性から暴力性にまたがる数々の言語風景をさまざまな切り口で表現してみせ、それと向きあい、乗り越えようと試みる。今回は会場に字幕映像が加わり、さらに指揮者・大野和士が仕切り、切れ者の有馬純寿が音響調整者の役割を果たすことによって、曲のパースペクティブが見事に感じ取れる仕上がりとなっていた。
カトリックの信徒であるツィンマーマンは、教会の聖堂空間で受け継がれてきた声の響きに、身近な信頼感を寄せていたかもしれない。だから、いくら平和を達成することが困難に見えようとも、どこかで自ら信じるものに身を委ねようとし、最終的にそれを選び取っているのではないか。絶望してはならない。そのように、懐疑は音楽のなかでは最終的に棄却されている。初演時がこの日のような響きのクリアさがあったとは思えないが、音の優れたホールで聴くことによって、聖堂で感ずる啓示のように、作曲者のメッセージが腑に落ちるのである。たぶん、音楽も信仰も感受性の次元に属しているのだ。
だが結局、ツィンマーマンはこの作品を完成させて、自らその生涯を閉じてしまう。