建築から学ぶこと

2013/09/18

No. 392

それはどのような時代を呼びこむのか

2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催決定は、UIA東京大会(世界建築会議)の運営に携わった私には感慨深いものがある。どちらも誘致失敗を経験しており、再チャレンジや大会運営では、UIA2011東京大会日本組織委員会・東京都・国とは歩調を合わせたからだ。実際に、前回の安倍政権の2007年5月の政策「アジアゲートウェイ構想」には、「建築のオリンピックとも言えるUIA大会」と表記されていた。もっとも、その当時は2016年のオリンピック誘致を目指していた時期だが。

今回の最終プレゼンテーションは、テレビの前でメモをとりながら見た。短時間のアピールの巧拙は、われわれが日常的に経験することなので、とりわけ興味深いのである(それゆえ、どのように優位になったのかを知るために、ライバル都市の映像を知りたいのだが)。私が思うに、総理が語った「3000人の若者がスポーツインストラクターとして国際的に活躍」(時制をややあいまいにしてはいたが)のくだりは得点を稼いだかもしれない。国際大会で、自発的な国際貢献の姿勢を訴えるのはポジティブである。

そのプレゼンテーションでは、環境政策で先進的な成果を挙げている都市であることにあまり触れていなかったが、これからの7年のなかで、環境面で前進する施設整備と大会運営の達成は期待したい。とりわけ、交通渋滞と大気汚染に悩む近隣アジアの大都市が多々あるだけに、東京が克服し、取り組むポイントは大いに範となるであろう。つまり、それも国際貢献である。

個人的には1964年のオリンピックは小学校4年。大会期間中は「半ドン」で、午後からは友達の家で一緒に中継を楽しみ、次の日は、初めて見たスポーツを校庭で試したりしていた。大会は未知の「国際社会システム」を理解する機会だったのである。そのころから関西の郊外は、東京よりやや遅れて宅地造成や埋め立てが始まり、公害問題がクローズアップされ、学園紛争があり、地元開催の70年万博の喧騒と刺激へとつながっていった。今度のオリンピックはどのような国際化の幕開けになるのだろうか。

佐野吉彦

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