建築から学ぶこと

2005/11/02

No. 7

阪神間の水脈と動脈

大阪と神戸の間、東西に横たわる<阪神間>は、20世紀の初頭、両都市の興隆とともにめざましく成長した地域である(私は神戸市灘区から尼崎市の間と定義する)。阪急と阪神の両私鉄が切り拓いた郊外住宅地と、そこにできた私立学校が、少しばかりハイカラな文化を育てる基盤となったが、同時にここは港湾と臨海工業地帯を併せ持つ複合世界でもある。清酒などの伝統産業も栄えていた。阪神間の経済は、必ずしも両端の都市に寄りかかっていたわけではないのである。そのような恵まれた経済とインフラのうえに、地域への移住者があらたな価値を推進するかたちとなり、スパニッシュスタイルの住宅・キャンパス(関西学院など)、モダニズムの住宅、宝塚歌劇や阪神甲子園球場などのアミューズメント施設などの建築的成果が生まれた。白鹿館など、工業建築にも見るべきものがある。

これだけの建築的な多彩さが、南北幅の狭いこの地域に併存できているのは、それぞれの鉄道沿線の性格の違いもあったが、もうひとつは自然地形に起因する。東西の背骨である六甲山から一気に流れ落ちる河川は扇状地をつくり、土地に起伏をつくりだした。たとえば御影(神戸市東灘区)の住宅地は扇状地の上にあり、灘高校(同じく東灘区)は崖線に立地する。ライト設計の山邑邸(芦屋市、現・ヨドコウ迎賓館)は河川が削ぎとった山塊のうえに迫りだす。微妙な高低差は、微妙に建築スタイルを変化させたのである。

一方で、高低差ゆえに水の確保には苦心があった。古くからの溜池に加え、阪神間のタテにおいては用水が切り拓かれ、水道管がヨコを結ぶ(水道道路という名称が残っている)という2つの「水の軸」が存在する。水の流れは地域を結び、連帯感を生む役割を果たした。ここに、大阪弁でも神戸弁でもない阪神間ならではの独自な言語世界も育った。阪神間の広がりは、この、べとつかない阪神間言葉を共有する範囲、ということになるだろう。

後記: この地に育った阪神タイガースは、日本シリーズでは同じく都市間(京葉)に根付いたチームに完敗した。グラウンドでのことはさておき、マリーンズの個性的なノリの応援には、新たな言語空間を形成しようという意欲を感じた。

佐野吉彦

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