建築から学ぶこと

2019/07/24

No. 681

ダンバートン・オークスから

政治家ロバート・ウッズ・ブリス(1875-1962)がワシントンDCにある邸宅「ダンバートン・オークス」に住んでいたおり、ストラヴィンスキー(1882-1971)に作曲を委嘱した。それは場所にちなんで室内オーケストラのための協奏曲「ダンバートン・オークス」と名付けられた。管楽器の小気味よさが心地よい名作である。その後この邸宅はハーバード大学に移管されて今日に至るが、1944年にここで重要な国際会議が開催された。米・英・ソ・中が参加した、その名も「ダンバートン・オークス会議」では、国連設立を中心とした戦後構想が議論される。翌年のヤルタ会談、サンフランシスコ会議へと続く最初の模索であった。
会議名が都市ではなく建築物なのは、密議的な空気があったからだろうか。似た例では、古くは織田信長の跡目を確認した、清州城での清州会議(1582、天正10)があるし、幕末の長崎で坂本龍馬と後藤象二郎が向きあった「清風亭会談」(1867、慶應3)がある。明治に入ってから、新政府立て直しの議論を戦わせた「大阪会議」(1875、明治8)は、会場が花外楼や三橋楼といった料亭であっても、すでに密談という様相ではないこともあり、都市名を冠することになる。
おそらく、今後は建築が時代の舞台になることはあっても、名前が躍ることは少なくなるだろう。カーター大統領(米)は、大統領山荘にペギン首相(イスラエル)・サダト大統領(エジプト)を招いた会談で、「キャンプ・デーヴィッド合意」(1978)を導き出した。しかしながら現大統領がツイッターで政治を操ろうという了見なら、ますます場所の意味は薄れてくるかもしれない。しかし、大事な話をそんなところでするものなのだろうか。

佐野吉彦

出典元:https://www.doaks.org/

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