建築から学ぶこと

2016/03/16

No. 515

別府の、新たな輝き

昭和3年(1928)、別府市公会堂(現・別府市中央公民館・市民会館)が竣工した。今日に続く保養地であり、海陸の交通の要衝としても発展した別府は、その少し前の大正13年(1924)に市制が施行されていた。そのころ、別府駅前に銅像が立つ実業家・油屋熊八(1863-1935)は、洋式による亀の井ホテル(1924)や 亀の井自動車(現・亀の井バス、1928)などの新事業をスタートするなど、この街は勢いをつけて昭和時代のゲートをくぐっていた。
そのゲートと言える公会堂の設計者に、都市建築の経験のある逓信省技師の吉田鉄郎(1894-1956)が招聘されることになる。ようやく30代になったばかりの吉田は、ラグナル・エストベリ(1866-1945)の影響を受けていたと言われるが、ここまで会堂の経験はない。ちょうどエストベリの代表作・ストックホルム市庁舎(1923)が満を持して完成したばかりで、それは別府におけるよい導き手になったはずである。実は別府市内には、吉田の作品・別府郵便局電話事務室(現・別府市南部児童館、1928)が残っており、こちらのほうがエストベリの趣向に直接つながっている印象があり、綺麗にまとめられている。それと比べながら公会堂を眺めると、エストベリから先に進もうとする意欲が随所にあり、チャレンジはあふれ出しそうになっている。その後、大阪中央郵便局(1939)や東京中央郵便局(1931)においてモダニストとして完成度の高い成果を導く前の吉田。勢いのある街で、弾みをつける仕事を実現させた。
公会堂は、時とともに内外にさまざまな改変が加わったが、この3月に完結した大改修(安井建築設計事務所が担当)では、現行法令に適合させるとともに、昭和3年竣工時のデザインに戻すことがテーマとなった。それは吉田の思いを掘り起こすだけでなく、その時代からはじまる、建築にかかわるさまざまな事実やかかわりを明らかにするプロセスでもある。公会堂は別府市発展の語り部の役割を果たしてゆくことになるだろう。

佐野吉彦

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