建築から学ぶこと

2008/10/29

No. 154

身体が感じとるもの

どのまちに出かけても、まずは手始めに走ることにしている。シューズを履き替え、適度なリズムを刻みながら当地の微気象を感じとり、地形の細かい起伏や街区の成り立ちを確かめてゆく。そのまちが時間帯によってどのような表情の変化があるのか、水辺の景観に対する細かい配慮がなされているのかなど、いろいろな観察ができる。先日は、日曜日の早朝に福岡の大濠公園を周回して、予想外の賑わいぶり・多様なスピードが共存する光景に接することができた。楽しい景色だ。中国のいくつかの大都市の朝を走ったときは、たくさんの太極拳のグループなどで公園が徹底的に活用されているのが印象的だった。走るコースを探すのに苦労するほどの混みようである。

代々木公園の土曜の朝も快い。視覚障害ランナーの伴走を務めながら、それぞれのペースで走るグループにすれ違う。日曜日のグループもあり、都市の中の公共空間としてここは有効に機能しているようだ。走りながらの観察というのは、手際よく都市のアウトラインをつかめるものであり、さらに、長い距離を走るという身体を通して都市の本質を感得する手段なのである。

じつはこの春、不注意で足首を痛めた。事故の原因がランニングではなかったのに、痛みは自然に引くものと勝手に判断をしてしまった。途中から接骨医に通って完治したのだが、夏まで腫れは長引いた。結構重症だったことになる。痛みの素振りを見せないようにするのは、いくぶん面倒なものだった。

にもかかわらず、テーピングとマッサージを伴いながら走りを続けていた。でも、トリノの歴史的街区の石畳は足に響くものだったし、近所では普段意識しない防波堤の内側の路面が左右に傾いているのを、関節は見逃さなかった。しばらく急なスピードの上げ下げに支障を抱えていた私は、都市の細かい次元にあるユニバーサルデザイン面の課題を発見することになった。私の身体が、自由から自由でない状態に陥ったときに、潜んでいた事象を認識した数ヶ月だった。

佐野吉彦

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