2018/05/09
No. 621
ピクニックに行こう、と呼びかけたのはハンガリーの民主化勢力である。1989年の夏、オーストリア領に地続きでせり出した位置にあるハンガリー・ショプロン市の草地がその会場となった。鉄条網のある国境に接する地は、<問い直しのメッセージ>を発するに相応しい。民主化を支持する同国政治家の支援を得て周到に計画が進められ、8月19日に「汎ヨーロッパ・ピクニック」(ヨーロッパ・ピクニック計画)が幕を明ける。この催しに加わるためにやってきた、600人を越える東ドイツ市民は、ピクニックの最中に会場近くの検問所を突然ながら安全に越え、そのまま西側に抜け、西ドイツはすみやかに亡命者を受け入れる。穏やかなしつらえの中で開いた風穴は、やがて過剰な暴力を伴うことなく11月9日のベルリンの壁崩壊という結果につながってゆく。
その20年前の夏にはウッドロック・フェスティバルが開催された。その草地でのできごとも結果として歴史に名を留めるものとなっている。一方のショプロンも、夏の時点では歴史の行く手を見通すことはできなかっただろうが、しなやかな着想が事態を転換させた好例とも言うことができる。少なくとも、変転する状況に切れ味のいい名前、あるいはイメージを与えたところは光っていた。すでに動き出した車輪が、その影響で正しい着地点に向かったのである。その一連の経過は、現代ビジネスでの膠着状況にも、ヨーロッパやさまざまな地域が抱える課題(政治対立・都市問題・人権問題)の解決においても示唆に富むものである。たとえばつい最近までテコでも動かないように見えた朝鮮半島に、にわかに動きが生まれたのを見ると、ピクニックが内包していた発想はこれから必要になるように思われる。ここで日本あるいは日本人が東アジアでうまい役割を担えると面白いのだが。
※参考文献、稲垣久和+大澤真幸「キリスト教と近代の迷宮」(春秋社2018)