建築から学ぶこと

2016/02/17

No. 511

彼らと私のアメリカ

満鉄に10年勤務して設計者としてのキャリアを積んだ安井武雄は、1919年、大阪の片岡安の事務所に籍を移す。それから1924年に自らの事務所を創始するまでの間、安井には半年間のニューヨーク滞在期間がある。神戸に建つ<川崎造船所病院>の設計を高松政雄とともにロックライズ・トンプソン事務所で共同作業を行うためだった。結局、病院計画は日の目を見なかったが、安井はアール・デコの時代前夜の米国の都市を経験する機会を得た。後に登場する1933年竣工のガスビルが、1932年の名作・PSFSビル(フィラデルフィア)と時代の空気を共有しているのは、そこに根っ子があるように思われる。

安井は戦後に「アメリカのデザインというが、あれはデザインじゃない。ビズネス(ビジネス)です」と切り捨てる(1951年、建築と社会32集8号)。だが、これは額面どおりに受け取ってよいものか。その背後にある戦争から戦災復興へと続く都市の殺伐とした空気を重ねあわせると、そこに複雑な思いが宿っていたかもしれない。片や、女婿である佐野正一は大戦で出征したが、政治的に反米の考えを持たない人だった。佐野正一は尊敬する建築家としてエーロ・サーリネンを挙げており、その多様なアプローチには敬意を払っていたけれども、アメリカ文化に対する違和感はずっとあった。ここにも複雑な感情があることがわかる。

その息子である私が10代の頃には、ベトナム戦争にのめりこむアメリカに失望する一方で、それを批判するリベラルな動きには共感を抱くという、やはり複雑な視角があった。だが、アメリカに対するこわばりは、その地にあってふつうに建築をつくる人たちと交わるなかで、見事に溶解してしまった。文化にある多少の複雑さは楽しみのうち、との見方は、アメリカ人から教わったとも言えるだろう。そこに奥行きのあることが起こる。文化人類学的に見て、アメリカという泉は汲めど尽きせぬ面白さに満ちている場所だと思う。

佐野吉彦

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