建築から学ぶこと

2021/03/03

No. 760

むしろ、建築の限界を知るところから

毎年この季節、建築学科の卒業設計の発表会に加わる機会がある。学校は違っても、人と社会の間にある課題、人と自然の間に生じている軋轢を、かたちを通して調停しようとする精神は同じ。それぞれが選んだ敷地に造形戦略を交差させようとする取り組みは、いつもすがすがしさに満ちている。教育的な観点からすれば、そこでの奮闘が学びとなって、次のステージでのさらなるチャレンジにつなげてほしいものだ。

じつは建築の提案は、眼前の目標を突破するための揺るぎなく、的を射た解であればあるほど、その後の状況変化への柔軟さを欠く可能性がある。このような試行錯誤は現実の建築にもたくさんあり、人類の歴史とは、そもそもこのような不首尾に満ちたものであった。つまり、チャレンジを一度で成功させるのは難しい。未来をただしく想像するのは高度な作業である、という認識は持っておいた方がよいのだろう。

さて過去1年、ウイルス感染を防ぐために世界のあちこちで都市の一時的な封鎖がおこなわれた。それは人々の自由を制限した反面、感染の拡大をある程度食い止めたようにも思われた。これを見る限り、未来とはゲーテッドコミュニティのように個別に閉じた建築・都市形態が理想と思いたくもなる。たしかに権力は近世までのパリを城壁で囲んでいたし、秀吉が都に御土居を建設し、安寧と人口増をもたらしたような例もある。しかし、その後に壁のないゆるやかな世界が登場したことを見れば、そうした制御戦略は一時的に有効でしかなかったかもしれない。

ゆえに、物事の成否は長期的に見るべきものである。当然ながら人類も建築設計者もまだ最終的な答えにたどりつけていない。果たして世界にある自在さもしくは不安定さのなかから、豊かな可能性をうまくすくい取れるかどうか。建築設計者のセンスが問われるところである。

佐野吉彦

京都の近代化のために刻んだ疎水は、今は優しい水辺景観。

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