建築から学ぶこと

2020/03/04

No. 711

ここは後藤新平に学びたい

近年は、災害も災難も「忘れた頃に」ではなく「忘れる前に」やってくる。それらといかに賢くつきあいながら日常を維持するかが重要である。今回の感染症への対処がどうであったかは終息後に検証するとして、市民の安全のためには、官民にわたる連携が必要なことは言うまでもない。そのために医療や建築、法律などの専門的知見を日頃から突き合わせておくことも必要である。それぞれの得失が矛盾しかねない場面に備えて、衛生対策、建築の安全・活用、そして私権の行使や制限についてあらかじめ連携して考えておきたい。それらは非常時の政治の決断、市民の自主行動の基盤になるであろう。
そうしたときに政治家・後藤新平(1857-1929)の軌跡が参考になる。後藤は医学を学び、医療行政(内務省衛生局長)に従事し、台湾や満州で都市経営の責任を担う。最後に取り組んだのは関東大震災(1923)からの復興である(東京市長、帝都復興院総裁)。守備範囲は広いが、後藤の人生は<健全な都市>をつくる問題意識とともにあったと言える。
後藤は、大震災に遡る1917年から23年に都市研究会(片岡安や佐野利器が加わっている)を主宰しており、その成果として都市計画法制定(1919)を導いた。それは「後藤と意欲的な官僚、技術者、学者、民間人が6年間、何度も繰り返し、東京の都市問題を議論して、政策検討を行い、都市計画の立案を続けてきた」(*)ものである。当時の大都会には衛生・防火・美観など課題が山積していた。そこに都市の総合的ビジョンを据え付けるアクションを起こしたのである。それは震災復興のエンジンとなった。
ところで法律や政策はできたものの、国が都市計画のために独自財源を持つ流れはできなかった。それ以後、国の重点投資は「災害復興などどうしても都市計画が必要な場面と、ナショナルイベントという臨時的な一点集中に限られてきた」(*)のだという。なるほど、平時のための国家的判断が大事なのだな。

 

* 引用は、越澤明・著「後藤新平―大震災と帝都復興」(ちくま新書2011)から。台湾や満州での後藤の経験について、越澤は「植民地で都市計画を実施する能力は、植民地の統治能力の有無を示すバロメータであったことがわかる。このことからも都市計画は単なる工学技術ではなく、すぐれた政治的な事業、社会的な政策であると言える。」と記している。

佐野吉彦

後藤新平(出展:近世名士写真 其1)

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