2017/01/11
No. 555
平均株価の大きな変動がない、穏やかな年明けだった。建設市場も悲観的な見通しは少ない。それでも、少子・高齢社会のなかで建設労働の担い手は減少し、生き残りの知恵を持たない地方の衰退は続く。いくら活気があると言われても、課題は山積している。その中で、ワークスタイルの変化やICTの進展、環境配慮に建設産業全体が対応するためには、プレイヤーそれぞれの変革が必須。システムを入れ替えるだけでは間に合わないのだ。政府がリードしようとしている多様な発注方式の推進、コンパクトシティ、住宅ストック流通促進などがまだまだぎこちないのは、こうしたシステムが市場をうまく牽引できていないからなのか、あるいは問題の解き方が古いのか。
そう思いながら、正月の青空をバックにした、高層マンションが立ち並ぶ都会の景色を眺めていた。ある意味で壮観のハードウェアである。でも、同じようなパターンの高層ビルが、このまま特定のエリアを埋め尽くしてゆくのだろうか。ここに住む人たちが住戸を次世代に受け渡すことができなければ、マンションは歯抜けのように廃屋になってゆく。そうした、都市政策不在の状況に警鐘を鳴らすのが『老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路』(野澤千絵・著、講談社現代新書2016)で、<もう少し土地に応じた政策が必要ではないか>と訴える。<人口至上主義を掲げることがまちの豊かさにつながらない>というわけだ。
それなら、政策の見直し・解き直しはどんどん進めたほうがよい。あわせて、解き方が古いというところは、われわれ設計者も反省する点がある。『ひらかれる建築 ―「民主化」の作法』(松村秀一・著、ちくま新書2016)は、現今の状況を見て、<建築の専門家も、ハードウェアではなくコンテンツを豊かにする活動に参加できるかどうかが問われる時代になっている>と述べている。軸足を長らく新築設計に置いてきた間に、設計者は顧客や社会が求める姿を見失っていないか。