建築から学ぶこと

2008/02/20

No. 120

そして、見取り図をつくる作業へ

地図が好き、という点はこどものころから変わらない。幼稚園のとき、皆で工作をして小さな動物園を作ることがあり、そのときの私は粘土の動物でもボール紙の園舎でもなく、全体の案内図をつくった。描くこと自体も楽しい作業だったが、それよりも整理されていない状況をいかにうまく位置づけることに熱意を燃やした。これを不遜ながら例えると、フランス革命に先立つ啓蒙主義の時代、ディドロらが進めた「百科全書」の編集と似た視点である。彼らは価値の位置づけが転換する時代に、どう理知的に先取りして世界を把握するかに執念を抱いていた。

ところで、言語というものは、生きるために必要な手段として生まれた。日本語にいくつもの雨の名前があり、エスキモーの言語にいくつもの雪の名前があるのは、環境に積極的な働きかけをおこなう必要があったゆえだ。厳しい気候のなかで食糧を見出すのに、また家(いわゆるイグルー)をつくるために、氷の分類・微気象の定義づけは不可欠なものである。こうした言語カテゴリーを解明することは、ある文化や社会の総体を描き出す重要な手がかりとなる。ただし、サピア=ウォーフの仮説「言語は、その語り手が意識しようとしていないとにかかわらず語り手の思考の様式を構造化する」にあるように、言語は多くの場合、ふだん意識せずに使いこなされている。そういうものだ。この観点から世界を眺めることは、理知的洞察とは逆である。ここに意識的にはっきりしたカテゴリーを設定したり差し込んだりすると、その文化の支配力を著しく強めるか、かえって不幸をもたらすことがある。

それゆえに、文化や社会に深く潜む知識の体系をじっくり取り出し洞察する、文化人類学のような学問は、近・現代の楽観的な都市改造にデリケートな一撃を加えることができそうである。建築をつくる手順は、洞察から体系化に向っているわけで、これらの学問の手順とは逆コースになる。われわれの任務は、不安な状況を明瞭にすることから始めているけれども、無意識な自然体の実現を目指すことを忘れてはいけないのではないか。

佐野吉彦

アーカイブ

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

お問い合わせ

ご相談などにつきましては、以下よりお問い合わせください。