2014/06/04
No. 427
いつか、ものごとはまとめあげることができる。そのような幸せな感覚を建築設計者が持っているのは、最後にかたちをつくりあげてプロセスを完結する経験を経てきているからでなないか。教育機関でも、専門知識を身につけながら、演習やワークショップで完結経験を先取りしていることでその資質の基盤が形成されている。異質な考えを有する人々を調停することによって建築は立ち現われ、距離が離れていてもネットワークの先にある同士が理解しあえればかたちは実現する。建築を学んだ者はそういう考え方をするわけである。
しかしながら、社会がそうした感覚のことを知っているかどうかは気になるところだ。技術を扱う者にはそれ以外の領域を扱わせなくてよいと思われている可能性があるし、コンピュータが進化すれば標準設計が普及するものと理解している向きもある。そうした社会とのズレを整合させるには建築設計者の努力と説明が必要である。前例のないことが出来るのが優れた専門家であることは、自らの活動領域を拡げ、そこから報酬を得ることで証明することができるだろう。もちろん、その動きを支える社会基盤をつくるために建築界が汗をかくことも重要なことである。
ところで、ライス・米国元国務長官は、もともと外交史の専門家であった。8年間のブッシュ政権の中枢にあって、戦争や威嚇によらない外交解決を目指して苦闘した人である。「政治とは可能性の技術である」とその回顧録(*)に記しているように、調整型の態度ではなく、外交技術が多くの課題を解決できることを確信していた。それは建築設計者が自らの技術に抱く信頼と共通するのではないか。私は、こういう政治家とならば、自らのプロフェッションについて冷静に語り合うことができそうだと感じる。