2017/06/28
No. 579
ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)がいかに偉大な作曲家であるかを文字にするのは難しい。すぐれた音楽家は、それをいろいろな方法で音に刻んでみせる。きわめて正統的なアプローチは鈴木雅明さん率いるバッハ・コレギウム・ジャパンで、バッハのすべての教会カンタータ全曲を演奏・録音するなど、学術的な取り組みも響きも精緻なものがある。延原武春さん率いる日本テレマン協会は、古楽器を使った演奏をメインに据えているが、バッハがいた時代の音楽世界とはどのようなものかを伝えてくれる。こうした印象は直感的なものだが、少なくとも両者の演奏会に出かけると観衆の空気が異なるのが面白い。演奏家の視点が違えば、演奏会の楽しみ方にも差異が生まれるということであろう。
もちろん、多数のプレイヤーを束ねる宗教曲だけがバッハの高みにあるのではない。チェンバロやチェロ、バイオリンによる独奏には懐の深さがある。それが現代の音楽家の興味をかきたてるようで、それぞれのスコア(楽譜)は、いろいろなバリエーションへと広がりを見せる。バイオリンのドミトリ・シトコヴェツキー氏は、ゴルトベルク変奏曲を孤高のチェンバロを弦楽三重奏に編曲し、シンフォニックな味わいを引き出す。アルヴォ・ペルトやスティーブ・ライヒの名手である、加藤訓子さんは無伴奏バイオリンとチェロをマリンバに置き換えて、静謐な演奏時間をかたちづくる。
いずれの名手も、独自の切り口で現代のバッハ像を探り当てようとしているところが面白い。バッハは西洋音楽の到達点ではなく、起点である。ちなみに、いずれの人たちも、どの場所で演奏するか、また演奏者をステージにどのように配置するかに非常にこだわりを持っている(加藤さんは国内外10箇所の宗教施設を使ってのバッハ演奏ツアー中)。じつはかれらは空間のすぐれた使い手なのである。