建築から学ぶこと

2006/05/24

No. 34

日光に向きあう

ときは元禄2年(1689)。花ざかりの江戸を惜しみつつ旅に出た芭蕉は、心細さを噛み締めながら4日目に日光に投宿した。あくる日は月が変わって夏の始まりの日。卯月朔日(旧暦4月1日、今年の新暦では4月28日)に日光東照宮に参詣する。この旅、すなわち「奥の細道」の旅は「今この御光一天にかがやきて、恩沢八荒にあふれ、四民安堵のすみか穏やかなり。なほはばかり多くて、筆をさし置きぬ」と前触れを置いたあと、「あらたふと青葉若葉の日の光」、続いて「剃り捨てて黒髪山に衣更」と詠み進める。

芭蕉は色を通して季節の転換を表現しようとしているようだ。ただ、この後の松島や最上川と続く、同じような見事すぎる「決まり手」からは、本当に事実に基づく旅日記だったのかという疑念が湧く。まあそれは優れた創造者・芭蕉の名に免じて許すとしても、「奥の細道」は日光山内(さんない)、すなわち東照宮をとりまく自然の情景は描いても、東照宮本体について触れていない。想像ではあるが、芭蕉はあえてそれを避けたのかもしれない。1634-36年に造営された東照宮は、建築としての評価はまだ安定していなかったとも考えられるからだ。

その東照宮における建築・彫刻・障壁画が統合された成果は特筆したものがある。これは同時期の、庭園を含む統合性を有した傑作・桂離宮(1620-45年)の純化された手法と対極を成す。1930年代に来日したドイツの建築家ブルーノ・タウトは桂離宮に断然軍配を上げている(「日本美の再発見」)。これは彼の好みに起因するとも言えるが、東照宮の絢爛たる色彩効果は、いつの時代にもクスリが強すぎたのかもしれない。最近、皇居の千鳥が淵に近いイタリア文化会館の鮮やかな赤い外壁をめぐり、景観論争が起こった。このさい塗り替えるべきだという意見も出ているという。私は、目くじらを立てるほどではないと思うが、とかく明瞭な色はメッセージ性が高いもの。少なくとも、日光の自然をバックにした色彩効果は芭蕉のイマジネーションに大きな刺激を与えたはずである。旅に在った芭蕉は、ここで対比の効果を感得したのである。

佐野吉彦

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