2020/07/08
No. 728
杉本博司氏が撮る写真には、建築を対象に選んだシリーズがある。焦点を無限大に設定して対象に向きあうとき、「優秀な建築は、私の大ぼけ写真の挑戦を受けても溶け残るということを発見した。こうして私は建築耐久テストの旅へと出発した。多くの建築がその過程で溶け去っていった。」(*1)と杉本氏は記している。なるほど、輪郭をぼやかしているのは、本質を見極める眼であったか。
ところで、杉本氏の幼少の記憶にこのようなものがあるらしい。「真鶴から根府川へと向かう東海道線は急峻な断崖のふちを鉄橋とトンネルで巡る。トンネルは眼鏡トンネルと呼ばれ、その海側には幾多の窓が穿たれていた。乗客の眼にコマ落としの映画のように、海が現れては消え、また現れては消える。そしてついに眼鏡トンネルを抜けると、あの広々と開けた相模湾が眼前に広がったのだ。」(*2)というもので、この残像はやがて杉本氏の良く知られた<海景のシリーズ>や<劇場のシリーズ>へとつながる。後年、氏はその運命的な場所の近くに「江之浦測候所」という名のミュージアムを自ら建設することになる。
じつは私にも、今は使われていないこのトンネルに鮮烈な記憶がある。大阪から東京を目指して走ってきた(在来線の)特急<つばめ>が、熱海を過ぎたこの地点で大雨のためにしばらく臨時停車したのだ。悪天で向こうの海は見えないが、明るさはある。幼少の私はまず窓付きのトンネルがあることに驚き、次にここはトンネルの内なのか外なのかと不思議に思ったことを今でも覚えている。私の場合、めくるめく変化する車窓ではなく、突然投げ込まれた異空間である。それは鉄道あるいは建築への関心を駆り立てたかもしれない。興味深いのは、同じ年齢の杉本氏が、私には見えないものを感じとっていることである。ここに違う衝撃を受けた子供はいるのかどうか、調べてみたい。
*1 森美術館での個展カタログ(2005)
*2 私の履歴書・第1回(2020.7.1)