建築から学ぶこと

2009/02/04

No. 167

光を観ること

世に問いかけるものは確実な光りかたをしている。堀木エリ子さんが手がける、和紙を使った照明は、驚くべき技巧と精度に裏打ちされつつ、静かな存在感を示している。ゆきわたっているのは、和紙を正しくその空間に位置づけようとする意思の明瞭さである。また昨秋、石井幹子さんと石井リーサ明理さんによって試みられたパリの橋を照らすあかりは、丹念に実現への手順をこなしたうえで、構築物の美しさが際立っている。ここに挙げてきた人たちの手法は前例がなく、不退転な取り組みなのだが、その成功を確実に見きわめる観衆がそこに加わることで完結をみているのだ。なまくらに光っていないだけでなく、なまくらな見方をさせない勁さ(つよさ)があることで、緊張感ある相互反応を引き起こしている。

こうした成果を確かめに行くことに現代は「観光」という表現を使わない。だが、もともとの「観光」には光を見にゆくという意味に加えて、光を示すという意味もあった。風光の光ではなく、威光のほうの光も伴っていたようだ。今日の語義はツーリズムに限定されたものの、たとえば天皇の旅、すなわち巡幸というものも「観光」と名づけて良いものだった。日本三景のような観光地とは、むしろ稀なる人に見ていただいたことで価値が高まった場所ということができる。

これらから考えると、いま「観光」を原義に立ち返って、場所の発する光と、訪れる者の光の相互反応に重きを置くとさまざまな可能性が広がると思う。都市が自ら誇りとすべきものを堂々と問いかけ、評価を受けて立つ積極性を加えれば、そこに新たなエネルギーが生まれる。たとえば今年開催の<別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」>といったローカリティから普遍性を取り出す試みは興味深い。なみなみならぬ意欲と決意を感じるだけに、完成度の高さを期待したい。

佐野吉彦

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