2011/10/04
No. 296
毎週書いてきた「建築から学ぶこと」を一週飛ばした。さすがにUIA2011東京大会の開催週は客観的に見つめる余裕もなく、忙しく過ぎていった。大会直前まで調整は続き、事態は3次元的に行きつ戻りつの進行だったが、節目のプログラムが終わるたびに感動する。講演などで語られた言葉ひとつひとつには重みがあったが、それはじゅうぶん織り込み済み。それ以上に、会期を終えて感じるのは、多くの国の建築家たちの相互理解のうえに成り立っているUIA(国際建築家連合)の懐の深さである。会期中の小さな講演、小さな展示、小さなレセプションで出会う関係はとても興味深いけれど、そこにもUIAの及ぼす見えない力がきちんと働いている。
過去3年、JOB(日本組織委員会)はUIA幹部たちと定例の調整会議を開催し、大会の細部までを確認しあいながらコマを進めてきた。震災直後の4月上旬の東京での議論では、DESIGN2050という本来のテーマに<災害(disasters:複数になっていた!)を克服するために>というメッセージが加わり、共有する方向性に一層の根が張った。振り返れば、ヤワではないが明瞭な議論が続いた。そういう意味では、3年にわたる大会が幸せに終わった手ごたえがある。この間UIA会長を務めたルイーズ・コックスは退任し、アルベール・デュブラーが向こう3年の流れを取り仕切る。定例の大会とは、ある時点のお祭りで悪いこともないが、時間の経過を総括する側面は重要であろう。ここまでの3年間の世界とは何であったかを東京大会は明らかにしたはずである。
さて、この大会が日本の社会に何をもたらすのかはまだ不明である。全体像を見通した参加者は多くはないはずだ。おそらく、UIA2011東京大会全体がそのまま何かに受け渡されてゆくこともないだろう。むしろ、大会のなかでの小さなきっかけ・出会いがゆっくりとした変化の可能性を生み出すことに期待を寄せてみたい。それこそが、人と社会とのあいだの粘り強い合意形成のプロセスを踏んできたUIAの精神の良質な面を引き継ぐものではないか。