建築から学ぶこと

2010/06/16

No. 233

長崎の手ごたえ

写真家の奈良原一高氏は、長崎の街には立体感と色彩感があったと述懐する。長崎県美術館で開催の、奈良原氏による「人間の土地」展の解説パネルに、そのくだりが引用されていた。確かに長崎湾を両側から望みながら、それぞれの街並は山へと登っている。その湾には、しばしば異国からの船が滑りこんでくる。少年期をこの地で過ごした写真家には、長崎の街は、そうした動きを伴うビジュアルイメージが刻みこまれた。ちなみに、私は同じような印象を韓国・釜山にも感じた。狭い谷あいに林立する高層ビル、その合間から海洋へと空気が抜けているのが今の釜山。似た景観の長崎とは、今日の平和な表情となるまでに、多くの「きしみ」を経験したところも共通している。

そんな長崎のことを<預言する街>と表現することもできようか。なるほどこの地に残る<歴史の証人>から伝わるメッセージにはずしりと手ごたえがある。例えば、長崎の原爆投下地点の浦上には、明治の初めの禁制解除の直前に潜伏キリシタンが捕縛された歴史が埋まる。今はないロシア正教の聖堂が建設されたのも浦上で、日本のキリスト教布教史にとって重要な意味を持つ、宿命的な場所であった。歴史は立体的に重なっているのだ。先述の「人間の土地」展が対象とする軍艦島も昨今、現代建築の先駆的な取り組みが生まれた場所との再評価が進む。高層住宅によるコミュニティ、緑化への努力等々の興味が尽きない<特別な空間>。ある時期の長崎に確実にあった炭鉱業のなかにあった<感情>を、奈良原氏は慈しむように取り出していた。

このように、長崎を支えたプレイヤーたちは時代によって大きく入れ替わってきた。その事実は重いけれども、歴史的転回は建築の変貌をも促している。グラバー園の洋館には構法面での化学反応を見ることができ、戦後の建築的成果である今井兼次氏の「日本26聖人記念聖堂」や栗生明氏の「国立長崎死没者追悼平和記念館」では、デザインにおける「特別な」建築的成果を味わうことができる。

佐野吉彦

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