2007/08/08
No. 94
蔡国強(1957-、中国福建省生まれ)は、勢いのあるアーティストだ、火薬を使う表現で知られ、その最大のものが「万里の長城を一万メートル延長するプロジェクト」(1993)。さらに北京オリンピックではビジュアルディレクターを務めるというから、凄腕だ。しかし派手さでここまで来た人ではなく、時代を切り取るみずみずしい視点で知られる。「キノコ雲のある世紀」(1996)は核実験場やマンハッタンで小さなキノコ雲をつくるという大胆な発想だが、青い空をバックにした湯気のような煙ののどかさも印象的。最近、資生堂ギャラリーで開催された「時光」展での、火薬で和紙に焼き跡をつけた表現はその過程を知らずに見ても美しいものだ。
加えて、展示空間の設営が美しい。西洋的論理性もあり、中国的典雅もあり、和の繊細も匂う。でも、心地よい。一瞬の炎と、記憶として沈潜してゆく時間の鮮やかな対照。いくら鮮やかな視点であっても、このように「素敵な」出来映えじゃないと、表現として完結したとは言えないと思う。ここらあたりに単なる異才と本当の才能との差が現れるのかもしれない。
タイプは異なるが、柴田敏雄(1949-)の写真表現にも魅せられる。初めて出会ったのは自然のなかにある土木構築物を写し取った、とても静謐な仕事。対象物が人智のなせる業か、傲慢の結果であるかを超え、美しさの本質が迫ってくる。画像に人影は見えないけれども、柴田の確かな眼の存在が感じられる。平凡に見えて本当は緊張感を内包した対象物の実体が覗ける瞬間を、柴田は見逃さない。そこにデリカシーに満ちた出来映えが伴うことが、その眼の鋭さを一層補強する。
それにしても、現代のテクノロジーは、いろいろな対象物や表現手段を編み出したものだ。その隙間に新たな価値を見出す才能に出会う機会は、いつもワクワクする。