建築から学ぶこと

2009/10/07

No. 199

表皮を通して

人は握手などによって相手と触れ、お互いの感情を伝えようとする。また、感受性を身につけることで、距離を置いた車窓の景色に魂を揺さぶられることが可能になるだろう。触れたり触れなかったりで、この世界に生きるものどうし、お互い理解しあうことができている。そのなかで、言語によるコミュニケーション、図面を通した相互理解などは、人と人とが距離を縮め、相互認識するために積み上げられた、偉大なる知恵と言えるだろう。それらを能動的に駆使することで、世界はさまざまな知恵を生みだしてきた。

でも、人が対象を正しく認識することは、とてもむつかしい。ここに、伊庭靖子さんという、対象をリアルに描きとる作家がいる。クッションや、食べ物のような、身のまわりにあるものを題材に選ぶことが多い人だ。絵は実物そのもののようでありながら、タッチのなかに、なみなみならぬ個性ある眼差しが潜んでいる。決して単純な接写などではないのである。作品を通じて感じとることができるのは、対象と作家がどう向きあい、どのような時間を共有しているかである。対象の中に作家は潜りこめることはできないわけだから、伊庭さんは、食器がまとう光の艶や、家具を覆う表皮のなかに対象の本質を見出そうとし、そしてそれを見つめる自らの位置も明らかにしている。

伊庭さんの作品は、人と人とがどのように出会うべきかをも示唆するかのようだ。人は表皮を介してコミュニケーションし、そこからメッセージを読み取ることになる。どうやら人の表皮のなかにも本質は宿るものらしい。そのことを穏やかに示唆しているのか。さてその作品はきわめて中立的な距離に位置している。そのうちのひとつ、清水卯一さん(1926-2004)作陶の器を静謐な表現で描いたものは、とりわけ凛として表情で作家からも自立している。人と人の間に生まれる知恵が自立してゆくように。

佐野吉彦

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