建築から学ぶこと

2011/10/26

No. 299

受け継ぐ人、受け継がれるもの

それぞれの人生は、自らの意思に基づいて選択がなされるものかどうか。たぶん、半分正しく、半分誤りである。たしかに、良くも悪くも人類の歴史は個人の意思というものを無視しては進んでこなかった。意思がさまざまな価値を生み出している。しかしながら、さまざまな条件下で人は育ち、いくばくかの制約を受けて日々を生きる部分は大きい。多くの場合、人は能動性と受動性の折りあいをつけてきたのが現実とみることもできる。

それとは別に「積極的な態度で」受動的に生きることを自覚する視点もある。実際のところ、人類が生み出してきた価値を受け継ぐうえで、その態度は重要である。たとえば歴史ある企業が社会的役割を果たすためには確かな意識を持つ受け継ぎ手が必要であり、それによって社会において大きな役割を果たすことになるだろう。Architectという職能が歴史のなかで社会の一翼を担い続けてきた事実も、同様の意識を持つ者が受け継いできたことでもたらされたことだと考えられる。

それらを<静的な継承>であると定義するなら、<動的な継承>というものもあるかもしれない。10月21日、松田美緒さんの声を聞きながら、そのことを想った。バンドネオンの北村聡さんとともに、幾度か紹介したコンサートシリーズ「平河町ミュージックス」第10回に登場したヴォーカルである。私は、彼女が紡ぐ歌のなかに草原の風を聴き、埠頭の空気を感じていた。時に街角のざわめきに包まれることもあった。松田さんは、さまざまな土地で経験した価値を声という器に受容して熟成してきたのである。個性ある表現の皮膚の下には、世界の中に潜むさまざまな価値をダイナミックに受けとめようとする意思が染みこんでいる。こうした「受動する力」をしっかりと持つ表現者によってこそ、貴重な価値は受け継がれる。われわれが、さらに自然なかたちでそれらを共有できることはなんと幸せなことだろう。

佐野吉彦

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