2008/09/24
No. 149
そこにあるのは、深い哀しみ、堪えがたい怒り、不退転の決意。人がずしっとした感情を心の中に宿すとき、肩のまわりを表現しがたい気配が包む。日常の何気ないしぐさの中に立ちあらわれる、緊張感に清澄さを伴った瞬間である。舟越桂さんの彫像と向きあうとき、視る者は自分をそこに重ねあわせたりしながら、その都度慰められる。一方で、近年の舟越さんの仕事は、寡黙なたたずまいから、イメージの翼を大きく広げてきた。それは視る者の想像力を喚起し、外向的なエネルギーを与えるものとなっている。
舟越さんは、父である舟越保武氏のストイックな軌跡を受け継ぎ、これから実りの季節を迎える。そこに、2世代にわたって共有される、聖像と向きあい、素材と一途に向きあう基盤が横たっている。ここで、同じような例として、木版摺更紗で人間国宝認定を受けた鈴田滋人さんの仕事を紹介しようと思う。鍋島更紗の伝統を復活させた鈴田照次氏の志をたどりながら、選びとった「型」への執念は、やはり一途である。鈴田さんは自然の草木と接するなかからあらたなパターンを読み抜き、そして骨惜しみしない型押し行為を経て、丹念に着物を仕上げてゆく。
舟越さんと鈴田さんは3歳違いで、ほぼ同世代。印象的なのは、自分の仕事について語るときの、きわめて丁寧な、実はとても楽しそうに語る姿である。ある時、鈴田さんから、一期一会ということばがあるけれど、あれは一期二会なのだと思う、という言葉を聞いたことがある。本当に大切な人とは必ず再会するのだ、という意味だという。なるほど。私は、出会うことにおいての真摯さと、それを表現に導くことについて、彼らから学んだ。そして魂を受け継ぐ覚悟についても。