建築から学ぶこと

2007/03/22

No. 75

多摩の魂

東京の西部に位置する多摩地域。三鷹・府中・立川・八王子などを先頭にした東京の郊外都市群と見ることもできるが、なかなかしぶとく、地に足の付いた土地柄である。かつて江戸とは強い絆で結ばれてきたゆえの、自負であろうか。その絆を形成した要素は、上水(玉川上水など)、街道(甲州、青梅、五日市街道)、新田開発、鷹場(鷹狩の場であり、直轄領でもある)などである。これらを介して多摩は江戸に水と野菜を供給し、人的ネットワークを密なものにした。幕府と運命を共にすることになった新選組のプライドはそうした風土から生まれたものだ。

現代の多摩への主要アクセスは、武蔵野台地の稜線上を東西にまっすぐ走るJR中央線、甲州街道に並走する京王線、中央自動車道である。明瞭な境界があるわけではないが、杉並や世田谷を抜けて多摩に入ると次第に空気が入れ替わるような感じがある。それは単なる野趣というものでもない。多摩には近代から現代、多摩には米軍基地・天皇陵など、国の中枢とかかわる要素が加わっている。同じように国の戦略基盤であった軍需産業は、そのノウハウがハイテク産業に橋渡しされている。これに郊外移転した大学群・住宅団地をあわせて眺めると、国政の歴史の変転を物語るメニューが並んでいるのが多摩だ。それらを呑み込んでなおしぶとい、というところが多摩たるゆえんである。

さて、荒井由実(松任谷由実)の「中央フリーウェイ」(1976)には実在の多摩の建築が登場する。調布基地を横目に見て、右に見える競馬場、左はビール工場、と歌は進むところである。いずれも戦後多摩のメニュー、中央道開通時(1967)は今のような防音壁ではなかったし、建築の存在はもっとくっきり認識できたかと思われる。その荒井由実は八王子育ちなので、この歌は帰宅途上の車窓、わが多摩のゲートを示すランドマークを認識した場面かもしれない。ある状況を語るために巧みに言葉を掘り当ててきた彼女だが、これは多摩の重層性、多摩びとの自負を重ねあわせる企てだったのだろうか?(ま、そんな理屈はなくても快適な歌だ。)

佐野吉彦

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