2012/10/17
No. 346
ドイツからワルター・グロピウスやミース・ファン・デル・ローエが移り住んだことで、アメリカの建築スタイルや実務教育システムはステップアップした。かれらにはヨーロッパで紡いだものが備わっていたから、このケースは、優れた才能が異なる風土のなかで自らのテーマを発展させたということになるだろう。結果として、かれらの功績は、アメリカの建築文化となり、やがて世界的な影響力を持つものとなった。
ところで先日、金子飛鳥さんのバイオリンを聴きながら、その身体にしみわたっているさまざまな音楽世界を楽しむ機会に出会った(10月12日、平河町ミュージックス第17回)。自作にバッハ、リベルタンゴ。金子さんや、その日共演したバンドネオンの北村聡さんは、それぞれの音楽の個性のなかに多様性を共存させている。もともと異なる出自の音楽がどのように隣りあい、反応しあうかはスリリングで面白いものがあった。つながっていない文化的要素がつながることが可能になるのは、優れた表現者を得たからこそであろう。そこで生まれている表現はとても自由で開かれている。まさに、ふたりは音楽におけるノマド(漂流者)。でも、地に足の着いたノマドである。
実は、ここに掲げたふたつのケースの間には50年ほどの歳月が流れている。そのなかで人が文化にどう向きあうかの姿勢は大きく変わっているような気がする。現代には、世界はひとつの価値観でくるむことができるという素朴な思考はもはやないが、世界にある多様さに気づいてしまったからには、それを(厳しく、しかし興味深く)認識したうえでもう一度結びなおそうとする感覚も生まれている。アメリカ建築にも、もちろんその傾向はあるから、いつのまにか、世界はひとまわりしたのだ。年齢を重ねて、ふたつのありようを目撃できることはなんと素敵なことだろう。