2008/04/09
No. 127
名古屋市内・有松の丘陵地にある鳴海団地の一角で、特別養護老人ホームの仕事にかかわった。敷地内には、団地の再整備のプロセスで生まれた緑地が含まれている。すでにここに枝を広げているメタセコイアや銀杏などの多様な樹種の姿からは、人の手が加わってきたぬくもりが伝わってくる。その経緯をふまえ、この緑地は老人ホームにも、団地の人々にも永く慈しまれるべき役割を果たす場所として開放されることになった。
建築の竣工式が挙行された春の午後、この緑地のささやかな植樹祭に臨んだ。この緑地は今後も丹精こめて使いこなされる森であるという趣旨から、社会福祉法人側も行政も、自治会も緑地を管理するNPOも、もちろん建築関係者もひとすくいずつ、何本もの苗木に土をかぶせてゆく。異なる立場が同じようにからだを動かす行為は意義あること。人のしぐさを足し合わすことで森が育つなら、風景の形成のうえでこれほど明瞭で快い作業と成果はないだろう。考えてみれば、建築もそうした努力を組み合わせてできあがることには違いないわけで、地鎮祭での鍬入れの儀は予めそれを象徴する(皆で耕す)ものとして行われる。どうやら建築やまちにかかわる事始めは春とともにあるのがふさわしいようだ。
さてこの季節、あちこちの通りで木蓮や桜の花が咲きだすと、冬の間沈黙していた風景が急に饒舌になる感じがする。人の心をワクワクさせる瞬間だ。季節によって変わらぬ町並みと、季節とともに装いを替える緑、それに反応する人々の表情があいまってまちの潤いをつくっている。お互いが反響しあうのは適切な距離感ゆえのこと。豊かな枝葉のあいだにこそ神経の行き届いた建築が生まれ、それが穏やかな文化を育てる。都市の魅力はそうやってゆっくりと丹念に彫りあげられ、物語が紡ぎだされる。身近なところにそんな関係を発見できることは豊かな都市の条件だ。