建築から学ぶこと

2006/08/23

No. 46

建築家の旅、そのはじまり

作家の小田実は「眼のウロコが落ちることがなければ、旅なんかに出かけず、家で寝ていたほうがよろしい」と書いている(「地図をつくる旅」1976)。根っからの人間好きの小田は、いろいろな土地の市井の人々と出会うことで、様々な本質を感得してゆく。彼の旅は単なる物見遊山などではない。自分が変わってしまうくらいの衝撃がなくては旅ではない、と小田は考える。

そうなると、旅の衝撃をきちんと受容するには、旅の記録をそのまま書き留めることで終えるのではなく、消化して栄養にする時間を必要とする。一般的に言って、紀行文学というものも、あとで十分考察して論理づけをおこなった経緯がみられる。芭蕉の「奥の細道」がその例。各所で脚色が施されているものの、旅を内在化しようとする意図が感じられる。他にも、一見旅行記の体裁をとる司馬遼太郎の「街道をゆく」も沢木耕太郎の「深夜特急」も、時間をおいて経験をまとめなおす作業が伴っている。

しかし何よりも、旅においては、旅立とうとする理由づけや覚悟が鍵を握る。予想外のできごとが起こるとしても、まずは何を目指すのかが明瞭でなくてはならない。その点、建築にかかわる人間は「動機」を持ちやすいと言えるだろう。異国の「異形」を見にゆく目的があるからである。建築家の旅によくあるケースは、強い磁力を持つ建築に向きあって建築家魂を呼び覚ますこと、あるいは自らの位置を再確認することである。ル・コルビジェの「東方への旅」は前者の、原広司の「集落への旅」は、後者の例であろう。原の旅は1970年代、周縁世界を訪ねた調査活動であるが、彼はここでモダニズムの問い直しに取り組んだと言える。

さて最近の、建築家による旅の本では、廣部剛司の「サイドウェイ」に好感を抱く。訪ねる先が建築の名所としてよく知られた場所であっても、視る者の精神が確かであれば、世界は一層みずみずしく光って見える。

佐野吉彦

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