建築から学ぶこと

2021/08/04

No. 781

潤う場所、代官山ヒルサイドテラス

かつて、玉川上水から分流した三田用水という水路が、駒場から代官山を経て白金あたりまで流れていた。目黒川流域の都心側に続く斜面の上にあるこの流れは、1974年まで生きていた。切れ込んだ谷があれば、その都度「懸樋」(かけひ)で渡ってゆくのだが、私には、代官山から鑓が崎の切通しをまたいで目黒に至る鋼製の橋梁の記憶がある。この用水は上水としては1664年に開削され、江戸中期からは農業用水に転じ、さらに明治以降は田畑を潤す以上に、火薬工場(現:防衛省防衛研究所)やエビスビール工場(現:恵比寿ガーデンプレイス)などさまざまな産業に水を配給する役割を果たした長い歴史を持つ。

さて、鑓が崎の橋梁を渡る手前の用水は、山手通りとの並走区間である。かつてこのエリアにあった地所には、用水が分流され、潤いをもたらしたという。そのうちの西郷従道邸は、いまは西郷山公園に変わり、朝倉家所有の土地には、重要文化財・朝倉家住宅1919)が残るほかに、代官山ヒルサイドテラスがヒューマンスケールで品格のある景観を創出し、それは地域景観を誘導する存在になった。

槙文彦さんの設計による代官山ヒルサイドテラスの歴史は1969年に始まっている。A棟からH棟の竣工に至るまでの30年を要して建設されたプロジェクトは、土地のコンテクストから逸脱しない着実さと、引き締まったディテール、さらに先取りした視野を併せ持つ秀作である。全体としても、ひとつひとつもモダニズム建築としての知見にあふれていることから、8月末にスタートする「第16回DOCOMOMO国際会議2020+1東京」(*)でもクローズアップされ、同時期に開催される学生ワークショップでの対象テーマとしても取り上げられる。戦後の度重なる都市改造がある東京で、注意深く積みあげたこの地の歩みは、さらに普遍的な価値を高めてゆくだろう。

 

* DOCOMOMO(ドコモモ)は、近現代建築の歴史的、文化的な重要性を認識し、その記録保存を訴えるために1988年に設立された国際学術組織

佐野吉彦

建築も、緑も潤う場所。

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