2015/06/17
No. 478
6月25日から改正される建築士法については、これまで何度か言及した(第464回など)。建築関係団体がこの改正に向けての連携は画期的だったが、設計監理契約のあるべき姿を民間から提言したことは大きいだろう。このタイミングで「建築家と建築士―法と住宅をめぐる百年」(第297回で紹介)の著者である速水清孝さんの講演(<西山夘三記念すまい・まちづくり文庫>の主催)を聴いたのは非常に意義があった。速水さんは、戦後に生まれた建築士法が、どのような背景と問題意識のもとに姿を現したかを掘り下げてきた人である。
戦前の建築家たちが、自らの社会的な位置の確立を目指した動きを下敷きにして、都市の住宅の質を高める社会的ニーズを重ねあわせ、結果的に広い範囲の建築の専門家を包み込む法律として、建築士法はスタートした。それもあって建築士資格は建築の専門家の基礎資格となり、建築の質を高めることに寄与した。そののち、幾度かの改正を経て、建築士法は設計者のための法に少しずつ近づいてゆく。2006年の改正では、建築士が生涯にわたり学ぶべき必要が盛り込まれた。果たして法制定の精神はゆらいだのかどうか。いや、もっときちんと理想的な法へと作り変えるべきなのか。だが、速水さんは、時代に合わせて法をいじることにはあまり積極的ではない。
むしろ大事なのは、この法律の原点をきちんと確認しつつ、現今の問題とどのように向き合ってゆくかではないか。私はこの日の講演をそう聴き、そう考える。建築士法は建築界の現実を引っ張る役割を果たしたが、建築団体が法律づくりに労力を割く時節はそろそろ終わりにしても良いかもしれない。建築設計者が多様な職域のなかで責任を持って力を発揮している現在、あるいは建築の専門能力を用いてビジネス・行動領域を拡大しつつある現在、すなわち専業か兼業かの議論が主戦場でなくなった現在、リアルに建築の専門家の生き延びかたを探るステージに移ってきた。