建築から学ぶこと

2022/01/26

No. 804

彩を与えてくれた人―平井洋さん

音楽プロデューサーの平井洋さんが今月初め、亡くなったという。現代音楽の演奏機会を実現させるにあたって、演奏家や作曲家の大きな信頼を集めたプロフェッショナルだった。成果の真贋を見分ける眼が一流だったが、基本姿勢として音楽家に留まらず、専門家への深い敬意があり、自らの立ち位置を弁えた動きに徹していた。一方で、積極性のある創造行為に対し、流れと細部をていねいに見つめながら、あたたかなまなざしを注いでいた姿が印象に残る。

この連載第314回でも紹介したが、2012年の33日と10日に、平井洋さんがホストを務めていた東京FM系のデジタルラジオ・ミュージックバード(音楽チャンネル)の番組「プロデューサーの部屋」にお招きいただいた。本ページにあるのはその折の写真である。4時間×2回という長い帯の番組で、音楽を流す合間に平井さんとトークした。東日本大震災から1年の頃で、用意した音源はチャールズ・アイヴズの交響曲第1番、オネゲルのクリスマスカンタータ、ほかにタン・ドゥン、クセナキス、権代敦彦、ブラームスなど。曲のあいだに震災からの再生、そしてサントリーホールやカトリック初台教会など私が設計に関わった作品の話題を差しこんだ。

ちなみに平井さんは、大学の管弦楽団での2年上の先輩である。入団時はのちに山形交響楽団の育成に専念する村川千秋さんがこの楽団の常任指揮者で、アイヴズの交響曲第1番の日本初演をしたのはこの楽団である。当時の平井さんは切れ味がいい打楽器奏者であり、新日本フィルの楽器運びのアルバイトの元締めもしていたので、時々召集があった。平井さんは音楽界に進み、一聴衆の私はコンサートで出会う程度だったが、ある昼どきに安井建築設計事務所東京ビルの前で鉢合わせし、このビルの1階にあるインテリアショップ・ロゴバを使って現代音楽を軸とする演奏シリーズ「平河町ミュージックス」を運営するアイデアを一緒に生んだ。開始は東京FM出演の2年前で、その後も私もスタッフも段取りの初歩、スペースの活かし方などいろいろと鍛えられ、教えられる。私には45年を越えても頭が上がらない人だったが、おかげで私の人生を彩り豊かなものにすることができたと思う。大きな感謝である。

佐野吉彦

音楽が結ぶ縁でした。

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