建築から学ぶこと

2020/08/26

No. 734

施設計画と、祈りの場

先ごろ、キリスト教系の高齢者住宅が竣工した。新しい施設には聖堂が設けられて、日曜毎のミサが催されたり、祈りの場として使われたりする。それはとても穏やかな空気に満ちた場所だ。キリスト教系では学校や病院にも当然のようにこうした場があって、日常の中に「祈り」が組み入れられている。そこでは感謝の祈りもあるだろうし、苦難を乗り越える祈りもあるだろう。仏教系施設だと、施設内に何かを設けなくとも隣接する寺院との連携利用はあるのではないか。ある病院では、隣接して大きな神社があり、そこで熱心に祈る人たちを見かけたことがあった。これらに共通して営まれているのは、人と人の楽しい語り合いではなく、聖職者のサポートを受けつつ、自らの運命を静かに大きなものに委ねるアクションである。
いま、カテゴリーを問わず、現代の建築計画では、祈りの場が見えにくくなっている。それは近代以降の傾向でもあるが、特に今年は、新型コロナウイルス感染症の治療を急ぐために、10日で病院が新設される例があった(中国・武漢)。また、家族でも身内との別れが制限されることもあった。こうしたケースではどこで穏やかな祈りが捧げられることになるのだろうか。たしかに、病院においては目立たない霊安室、ホテルではアイコンになるチャペル、あちこちの国際空港では祈祷室(主としてイスラーム教利用を想定する)など、時と場合によって祈りを受け止める場所は設けられている。住宅にある仏壇も大事な役割を果たす場面がある。これらを計画上で主役にするのは難しいけれども、祈る行為には、潜在的ニーズはあるのではないか。
このところ、リアル+リモートの組み合わせで次の社会像を考える動きが活発だが、祈りはそれ以前からリモートを橋渡す手段として続いてきた。その視点も加えて社会の未来を考えたいものだ。

佐野吉彦

あたたかく迎える聖母子像

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