建築から学ぶこと

2019/12/18

No. 701

人文学的風景にひそむ、魂と言うべきもの

平林勇一著「あ、火の見櫓!」(プラルト2019)川本三郎著「火の見櫓の上の海」(NTT出版1995)のあとがきに、<房総半島には、低い山がすぐ海まで迫っているところが多い。町は、山と海のあいだの狭い傾斜地に出来ている。だから、駅を降りて海のほうへ下っていくと、海が瓦屋根のあいだに、火の見櫓の上に見えてくる。谷内六郎は、それを「火の見の高さに海がある」という言葉でうまくあらわした。表題はそれに倣った。>という記述がある。たしかに房総の鉄路の窓から眺めると、集落は眼下にあり、海に接して生きているようすが見て取れる。川本の表現にあるのは、まさしく房総半島の典型的な人文学的風景であり、櫓はそこに不可欠な役者である。
全国各地にある櫓は、その地域の主として火難、時には海や川のもたらす水難を知らせる役目を担ってきた。誰よりも早く危機を察知し、その情報を半鐘によって広範囲に伝えることによって、地域の人々の心を繋ぐ役目を担ったのだと思う。おそらく、それらがコミュニティの結び目であるからこそ、先人はそこにすっくとした表情を与え、細やかな意匠を施し、鐘がただしく機能するように屋根掛けして風雪から守ることを考えたのではないか。平林勇一著「あ、火の見櫓!」(プラルト2019)は、そのような火の見櫓のありように、人々が求めるものを先取りしてデザインするという、建築計画の原点を見出している。そして平林氏は、在住する長野県を中心に収集した多くの事例を分類し、共通の技術的背景やそこに建つことの存在事由を探る。
じつは、工業デザインであるはずの火の見櫓のデザインのなかにも、「ターンバックルとして機能しない、単なる飾りのリングが使われているブレース」のような、分類体系から外れたタイプがいろいろあるらしい。平林氏は、そこに作り手の荒ぶる魂のようなものを感じたのかもしれない。あるいは、そこに人が住み続けることの覚悟のようなものを。

佐野吉彦

カバーを取ると、著者によるスケッチが。

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