2022/10/05
No. 838
昔から、熊本はファッション先進の地だと言われてきた。熊本の人は最先端を追いかけているようでもあり、この地ならではのテイストを見出しているようでもある。それは建築にもあてはまるというのは私の見立て。たとえば1988年に熊本県全域で始まった「くまもとアートポリス」は、他地域での同様の取組みの先駆となり、この地ではいまだ活動が継続している。それを嬉しく感じるのは私が立上げの時期に関りがあったからで、熊本県が謳っている「環境デザインに対する関心を高め、都市文化並びに建築文化の向上を図るとともに、文化情報発信地としての熊本を目指して、後世に残る文化的資産を創造する」という趣旨は一貫している。これまでの116の事業の中で、多くの新進気鋭の建築家、日本での仕事がなかった海外建築家を起用してきた。その多くは熊本県での第一歩から自力で活動を拡大している。そのうちの八代市立博物館を手掛けた伊東豊雄さんは、八代での仕事を積み重ねることで、地域と建築の関係を深く追究することとなった。アートポリスは、スケールの大きい建築人材を育てたと言える。
それとは別に、熊本は2016年の震災復興でも多くの創意工夫が生まれた。熊本城天守閣は高度な技術で再建のプロセスを歩み、民間の製造施設も迅速に再開することができている。同じ震災復興でも、黒岩裕樹さんが手がけた地域再生プロジェクト「神水(くわみず)公衆浴場」は、個人宅とコミュニティの核となる施設を合築するもので、着想がやわらかい。どれも構えは積極的である。熊本は始まるきっかけが官主導・民間主導かを問わず、しぶとくまとめあげ、豊かな成果に持ち込む力が秀でているようだ。まさしくこれを着こなしの力と言うべきか。日本建築士事務所協会連合会の全国大会(熊本)で開催された、一連の講演とシンポジウムを聞きながらそんなことを考えていた。