2020/07/29
No. 731
1980年代以降、環境にかかわる法制度が社会に根を下ろしてゆく。「循環型社会」・「生物多様性」・「気候変動と温暖化対策」を成立させる基準が整ったのである。時を置いて2015年の国連サミットでSDGs(持続可能な開発目標)が採択されると、今日のように政府や自治体、大企業が環境目標を前面に掲げるようになった。今や「環境」は組織や社会の「価値」を表すものと捉えられている。なるほど、これは良い流れである。だが「わが社は持続可能な社会づくりに取り組んでいます」などという言葉は、総じて上滑りしている気がする。鶴見俊輔流に言えば「お守り言葉」になってはいないか。
そもそも、日本語訳として「持続可能な」は明瞭でない。保全とのバランスがあれば多少の環境改変は自由であるとも読める。環境はいつのまにか優位にはいないのだ。さらにこの「持続」に組織の生き残りや経済の維持と重ね合わせている可能性もある。おそらくこの訳にももとのSDGsにも、現状の肯定と、いささかの拡大指向が含まれているのではないか。忘れるべきではないのは、SDGsで一番重要なのは意識の変革だということである。冒頭に挙げた環境の法制度を整えたときの突破力を、社会はきちんと記憶しているだろうか?
さて、建築におけるサステナビリティの取り組みは1990年代にはすでに始まっていた。1998年のレンツォ・ピアーノ設計によるチバウ文化センターなどは象徴的な仕事と言ええるだろう。だがここで持続を目指したのは「文化」であったことに留意しておきたい。その後日本ではCASBEE(2001)やJIA環境建築賞(2000)などが時代を次のステージに動かす先兵の役目を果たした。建築は眼に見えるベンチマークとして重要だから、これから先、環境目標の意味するところを明瞭にするために、さらに切れ味の良いサステナブルデザインが期待されるのではないだろうか。