建築から学ぶこと

2013/09/25

No. 393

災いを糧とするための、はじめの一歩

1920年代の世界恐慌・昭和恐慌は、沖縄に「ソテツ地獄」と呼ばれる長期不況をもたらした。その命名は、沖縄の輸出品の約8割を占める砂糖が暴落し、ソテツを食べるほどの不況が起こったことに由来する。モノカルチュア経済にはリスクがあるとして打開の模索が始まるが、1936年8月の沖縄観光協会の設立はその手立てのひとつである。この年から空の旅客便も就航した。それから沖縄戦から始まる困難がある一方で、当時から観光振興は沖縄にとっての重要なテーマとなった。

以上の整理は、那覇市歴史博物館で見た「戦前の沖縄観光―ディスカバー・オキナワー」展の解説に基づく。この例はひとつのピンチが時を経て、継続性のある取り組みへと育ってゆくプロセスである。様相の異なる例では、神戸市灘区の局地的豪雨による、都賀川の水位上昇が招いた人的被害(2008年災害)を挙げる。それは、気象データに水理学による水系全体の解析データを加えることで、水の挙動を正しく予測する必要を気づかせた。こちらのピンチは、社会資本のデータベース統合を促進する動きを生むことになった。

災いの克服は容易ではないし、そこから糧を生みだすにはどうしても時間がかかる。まずなすべきことは、「事態を冷静な眼で問題点をきちんと切り出し、小さくても歩みを始めること」である。一連のプロセスを確実に前に進めることで、被災地点の再建だけでなく、普遍的な課題発見・対応力向上を図ることができる。すなわち、災いを通して人類のための知恵が積み重ねられてゆくのである。必ずそれは次に誰かに活用されるであろう。それだけに、このところの災害予報に出てくる「経験したことのない雨」「数十年に一度の規模の雨」、事故の報告に見られる「特段の問題はないと考えている」といった甘い表現が気になる。事態の総括を鈍らせ、次の行動を遅らせる懸念を感じるからだ。

佐野吉彦

アーカイブ

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

お問い合わせ

ご相談などにつきましては、以下よりお問い合わせください。