2023/03/08
No. 859
毎年1月から2月は、建築学科の卒業設計講評会に参加する用事がある。出向く先は変わってきたが、かれこれ15年くらい審査に関わっているだろうか。今年は2か所でのリアル講評会のかたちにようやく戻った。何よりも、それぞれの邁進と向きあって制作者と対話を交わすのは快い興奮を感じるものだ。選び出した敷地にこめた思い、そこに重ねるテーマの多様さを読み込むと、私自身にも新たな学びが生まれ、わがプロフェッションの足元の確認をする機会になる。
今年の4年生は、長期間にわたって行動制限を余儀なくされた学年である。さらに、身の回りに環境や貧困などの社会課題が見えている。それらをめぐる問題意識が、卒業設計の奥深くまで染み込んでいたように感じられた。建築学科生は、身に付けた建築設計という技量を通じて、世界にある可能性と、十分でない点をうまく表現できる点で、なかなか優れた一群ということができる。ある者は鮮やかな視点で現況を転換・反転させようとし、デジタルのうまい活用にも出会った。一方で、風景の中でゆっくりとした変化を描こうとした者もいた。どれも有望だが、建築以外の学生や教員、市民に審査に加わってもらうと面白いのではないか。
現実の設計プロセスでは、ケースによって、あるいは議論を経て、最初の着想はどんどん変化してゆく。変化は時に夢をしぼませることもあるが、ほどよい発酵を導くものだから、一つの考えに固執しないのは適切である。だからこそ、学生時代には、果たして自分とは違う見方があるのか、もっとうまい解決があるのかなど、他者に批評を求める修練が重要なのである。もしかして青臭そうなアイディアが、社会を変える突破力となって実現できるかもしれない。その野望を養うのも建築学科の修練のひとつである。コロナの困難がそうしたライブな感覚を吹き飛ばしていないことを願うものである。