建築から学ぶこと

2013/06/12

No. 379

平和主義という原則

目標を実現する努力も駆け引きもするけれども、私には競う相手を威嚇・殲滅することに執念は燃やさない。政治家の冷徹な語り口を見ていると、私にはとても政治は無理だと思う。要は、これは思想の基盤の問題であって、いくら裏切りに遭ったところで、人を悪しざまに言うなどの行動原理は持ち合わせていない。由来するもののひとつは、何度も言及したエピソードだが、通っていた中高一貫校で起こった1960年代末の穏やかな闘争である。私はその前列にいたわけではないが、生徒が冷静に意見集約して学校と折り合い、制服の自由化と長髪の解禁が達成できたことに充実感を感じた。もうひとつは現在進行形だが、建築の設計において発注者と意見の一致をみてかたちが実現してゆくことの手応えである。何れも、途上での手綱さばきと技術によって難局を乗り越え、対等な合意が形成される。これらの個人的な経験に始まる平和原則は、じつはわれわれの日常業務を支える原則として良いのではないかと思う。

グローバリゼーションの時代のなかで、日本が生き残りを賭けることとは、他国を貶めることではなく、上手な共存である。たとえば他国で建築を設計することは二国の国民の利益に叶うものでなければならないし、我田引水でかたちがうまくできあがるはずもない。すべては相手の事情と風土への敬意、お互いの認識差の理解から始まる。そうして具現する建築は、二国間に平和をもたらす方便ではなく、すぐれた使者になると信じる。ところで、東南アジア諸国の大都市にはいまも多くの旧・宗主国の建築が健在である(英→ミャンマー、仏→ベトナム、日→台湾など)。興味深いのは、大切に扱われる(使われる)ことによって、支配・被支配の過去を乗り越えて、その国固有の近代から現代の物語を静かに語りかける存在となっていることだ。できあがった建築がそうやって姿が受け継がれることには、大きな重みがある。

佐野吉彦

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