建築から学ぶこと

2020/08/19

No. 733

緑とともにある近代

夾竹桃(キョウチクトウ)は夏の花である。そう綺麗な樹形ではなく、普段は目立たない樹に、夏の間、ずっと赤い花(白もある)が咲き誇っている。近くの公園でたくさん見かける夾竹桃との出会いは小学校の時で、戦後にできた学校のグランドの隅に、まだ若いこの樹が並んでいた。それは体育の時間の合間に暑さを凌いでくれるいい仲間になり、今は懐かしい友人になったのである。夾竹桃は耐候性があるからか、原爆後の広島では真っ先に再生してきたのだという。市民による投票で選ばれて広島市の花に選定されたことはそういう経緯だったようだ。植物にはメッセージがあるように感じるが、ドラマをも宿しているようだ。

ところで戦前の大都市圏には環状緑地帯の計画があり、最初の実施は東京緑地計画(1939)だった。関東大震災後に進む都心の公園整備を引き継ぎ、欧米の地方計画・緑地計画の思想を移入しながら広域圏の整備が進むのだが、のちに防空目的と変わった。この時期に広汎に確保された緑地の多くが、戦後に宅地などに転換したなかで、東京の水元公園や砧緑地、横浜の保土ヶ谷緑地、名古屋の庄内緑地などは今日もまとまった面積を保っている。大阪では大阪緑地計画(1941)に含まれていた万博記念公園と鶴見緑地のあるエリアは二つの博覧会(1970万博と1990花博)に活用され、大会後に穏やかな緑が戻った。

このように近代は、理想の都市計画の構築を目指しながら、都市災害や衛生、戦争、その後の都市膨張を経て、環境の価値の見直しという流れに、結果として方向転換を余儀なくされた歩みということができる。緑は、時代の変遷の中で、人間と一緒に生き延びできている。これからも長い友人でありつづけたい。いや、緑のほうがそう感じてくれていると嬉しいのだが。

佐野吉彦

夾竹桃のある径

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