2008/06/11
No. 135
エーロ・サーリネン(1910-1961)の人生が51年であったと聞くと、少なからず意外な感じがする。父エリエル・サーリネン(1873-1950)の晩年の仕事を受け継いでから実質13年、そのあいだに実に多彩な作品群が生み出されているからだ。近い世代のフィリップ・ジョンソンやイオ・ミン・ペイが長寿のなかで名作を生み出してきた足跡には、全く見劣りしない。エーロ・サーリネンの仕事は、いずれもアメリカの時代精神を代表した作品であった。
JFK空港のTWAターミナル、ワシントン・ダレス空港ターミナル、そしてジェファーソン記念アーチには、すがすがしいくらいの構造的なチャンレンジがある。これらの施設の持つ使命が大きいだけに、その成果の認知度はアメリカ国民のなかで非常に高いと言えるだろう。一方で、イェール大学学生寮、最後期の作品となるディアカンパニーには知的な安定性を有しながら、モダニズムの次を切り開く探求がみられる。ニューヨークにおけるCBSビルに感じる瞬発力は、SOMやミースとは異なるソリューションを示している。
父エリエルはヨーロッパで建築家としての名声を確立したのちに渡米した。そのとき、エーロは13歳。彼がエリエルの精神を継承し、アメリカの風土のなかで多様な成果を生み出せた要因とはいったい何だろうか。ひとつは、初めにデザインありきではなく、さまざまな建築主の理念を適切にかたちに置き換えるという姿勢を有していたこと。この点で、エーロは誠実で正統的な設計手順を踏んでいたように思われる。もうひとつは、スタッフの可能性を信じていたこと。デザイン面における多彩さは、さまざまな知恵をうまく活かすチーム組成のうえに花開いたと言える。死後、事務所はケヴィン・ローチが継承し、エーロの思いをさらに展開しているのだが、ほかにも短い期間のなかで多くの弟子が育った。彼らは師匠の信条を学び、豊かな度量のなかで働き、建築の合目的性を信じて育っていったのである。