建築から学ぶこと

2006/02/22

No. 22

瀧口修造のネットワーク力

作曲家・武満徹(1930-96)が亡くなってから今年で10年が経つ。1970年の大阪万博の鉄鋼館で、彼の作品に初めて触れ、その姿を間近で見かけた。晩年の作品は美しくやわらかな響きを持っているが、そのころはまだ前衛の気合に満ちたものだった。万博会場では、ドイツ館に腰を据えたシュトックハウゼンが電子音楽を試みていたが、建築を含めて会場の至るところに実験的な空気があった。武満徹は時代とともに在り、時代と切り結びながら音楽をつくりだした人であったが、その思考回路を多くの著作で書き残した。そのなかで、最初の著書「音、沈黙と測りあえるほどに」(新潮社)はとりわけ印象深い。彼の音楽を知らなくとも、西洋音楽と邦楽との狭間にある私、創造行為に必要な眼や覚悟といったものを読み手は知ることができる。さらに紹介すると、ハードカヴァーの装丁の質が高い。私はこの本の表紙やカットを通じて美術家・宇佐美圭司の名前も知った。

ただ、一連の著述のなかで武満がしばしば言及する瀧口修造(1903-1979)のことは謎だった。彼の造形作品は魅力的なので、ずっと私は美術の側の人だと思っていた。だが、実は瀧口にとってのそれは表現手段のひとつに過ぎない。その多彩な活動の軌跡を概観したのが「夢の漂流物」展(世田谷美術館、2005年)である。彼は多くのフランス文学を翻訳し、さまざまな分野の芸術を評論する。そこに多くの俊才との交流が生まれ、結果として貴重な資料や作品を保有することになり、さらに自ら美術表現を試みた。その守備範囲の広さは驚異的だが、彼の大きな役割は若い俊才を新しい世界に結びつけ、発火させる役割を果たしたことである。武満も見出されたひとりなのだった。

武満が、異分野に触発されて曲を作ったり、異分野との協働に取り組んだりしたのも、瀧口の影響のもとにあるように感じられる。瀧口修造はネットワーク力の師匠だったのではないだろうか。

佐野吉彦

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