建築から学ぶこと

2021/04/21

No. 767

電柱と電線への眼差し

日本は、電線類地中化(電柱と電線)が明らかに遅れている。その要件を定めた法律「電線共同溝の整備等に関する特別措置法」ができた1995年までは、行政は及び腰で、取り組む地域も限られたものであった。実際には地中化には長所も短所もあるのだが、景観形成の上では、電線も電柱はない方がいい、というのが現代の標準的な感覚である。

ところが明治の初期には電柱の姿は文明開化のアイコン、新しい時代の使者と位置付けられていたようで、その印象が当時の絵画の中に残されている。今見ると浮世絵風の構図にはミスマッチと思えるが、新鮮な取り合わせと感じられたのだろう。その後、電柱や電線は日常的な都市景観要素となり、都市の活力を象徴する存在として小林清親や川瀬巴水、岸田劉生といった画家が、構図に効果的に電柱を描きこんでいく。考えてみれば、クロード・モネも、パリのサン=ラザール駅の蒸気機関車を描いていたように、眼の前の近代化の光景は描きとめるに値する。従って、日本の画家たちが、眼の前にある路面電車・工場の煙突といった対象から電柱・電線だけ外すのも不自然である。

こうした眼差しの変遷を「電線絵画」展(練馬区立美術館、418日で終了)が追っている。なお、この展示の中で興味深いものが、電線を構成する部品「碍子」の美しさであった。単に絶縁する機能を越え、艶やかで力感がある。近代日本が、新技術を邪険に扱うどころか、デザインの対象として積極的に捉えていたとは面白い。

これからも、時代が生み出す新製品と既成の都市像とのあいだには、すんなり受け入れられる関係もあり、軋みを生じるケースもある。電柱・電線のケースは、長いスパンで考えると過渡的なものだったと片づけられるのかもしれないが、新しい流れと向きあった歳月には、いろいろな教訓が潜んでいるように思う。

佐野吉彦

なんと、富士には電柱が似合う、という逆説

アーカイブ

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

お問い合わせ

ご相談などにつきましては、以下よりお問い合わせください。