建築から学ぶこと

2010/03/31

No. 223

建築と時間がつくるもの

10年ほど前に1期工事が竣工していた工場が、最近ようやく2期に着手して竣工をみた。前回と平面型は同じようなものでありながら、10年のあいだにビジネス状況も社会背景も変わった。従って2期棟は建築計画として自立していても、そのプログラムは1期から10年という歳月を抜きには考えられない。つまり、建築とは、必ず何かと関わりがあって成立してきたものだ。実現するまでの準備の時間が常に変数としてそこに伴う。10年間に費やされた人智と情報集積は、ないがしろにはできない。できるかたちは、人と時間によって形成されるものである。

同じようなことでは、宗教法人が立派な本院本殿をつくったとき、そこに見える姿から、これこそ法人の力の誇示ではないか、と評するのは正しくない。肝心なのは宗旨や日常的活動とどう共振するかであり、建築が有効に使われているかどうかによってその建築の価値は明らかになる。建築は、経典と、それを読み唱える日常と切り離すことは出来ない。幾度も災難に遭いながら再建され、境内が整えられた東大寺は、粘り強い信仰の伝統があるからこそ、重源(1121-1206)がつくった伽藍の価値が光り輝くものになっていると言える。ノートルダム大聖堂やタージ・マハルが、宗派を超える感動を呼びさますのも同じ理由から来ると思う。歴史上の遺跡とは異なる、受け継がれてきた存在感が漂っているのだ。

工場における生産は建築なしでは成立しないし、信仰を保ち続ける「よすが」が見えない宗教は幾世紀を生き延びることが出来ないだろう。建築とは、ばらばらになりがちな人の知恵や情報を適切に着実に位置づけるはずである。時の動きをじっくりと見つめる余裕をなくしがちな今だからこそ、建築の存在意義がある。つまり、建築によってしか生まれない統合力と駆動力を信じたいと思う。

佐野吉彦

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