建築から学ぶこと

2010/05/19

No. 229

協働することとは

初期の荒川修作さんの造形作品と、近年手がけてきた建築作品とが、おのおの異なる会場で集約的に展示されている(前者は6月27日まで、大阪・国立国際美術館。後者は6月25日まで、京都工芸繊維大学美術工芸資料館)。荒川さんは、「手続きを通した建築」という呼び方を使い、建築の効能をポジティブに捉えている人だ。実現しているいくつかの建築プロジェクトは、空間と身体との関係を問いなおすために編みあげられた。方法論として理屈っぽさを装いながら、そこには愉悦に満ちた姿が現われており、身体から自然に束縛を外してゆく力を蓄えることができている。この空間には、建築を使う手続きが周到にプログラミングされているのだ。

私自身は、これらの建築作品を誕生させる過程に関わっていた(「三鷹天命反転住宅 ヘレンケラーのために」:水声社、2008記事参照)。建築的合理性の側の立場に在ってプロセスをリアルにマネジメントしつつ、荒川さんが導こうとする森への径を一緒に分け入るのはなかなか興味深い経験だった。もっとも、それは荒川プロジェクトに限ることでもない。誰かとともに歩みを進めてゆくというのは、単独ではできない可能性を獲得するものでもあり、手ごたえが残る経験だ。それがかたちを生み出す作業であって、かつ、できあがった空間と人々の身体が適切に関わりあう姿を目撃することができれば、これこそ本懐というべきものである。

金井壽宏さん(神戸大学大学院経営学研究科教授)は著書のなかで「何かを成し遂げるうえで必要な情報や資源や支援を、他の人びとに依存しているのは恥ずかしいことではない。むしろ、多くの人とつながって夢を実現していくというのは、すばらしいことである」(「ニューウェーブ・マネジメント 思索する経営」:創元社、1993)と語り、こうした協働経験の本質を照らし出している。協働作業は、完成型が予知し切れるものではないだけに、不安も宿る。ただそれ以上に、相互にフィードバックを繰り返しながら進むからこそ、できあがった成果の確かさは保証されるであろう。それこそ「手続き」というべきものではないか。

佐野吉彦

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