2006/06/14
No. 37
アジリティ[agility]という英語がある。俊敏さ、敏捷さといった意味で、サッカーの中田英寿がTV番組で紹介していた。うまいチームとはアジリティがあるチームのことで、アジリティがあるプレイヤーとは「俊敏さを備えたプレイヤー」ということになるのだろう。実は、私はその番組を見たのではない。岩見隆夫「サンデー時評」(サンデー毎日 5.24)にそのことが書いてあったのだ。
岩見隆夫は、現代日本はアジリティのある社会とは対極にある、と断じている。確かにいろいろなものがテンポアップして、動作は速い。座したままでのコミュニケーションは容易である。ところがそのためにアタマでしっかり考える習慣をなくした、というのだ。さらに、アジリティは実際に身体の切れが伴わねばならないから、歩くことを厭う現代はアジリティを一層退化させる可能性がある。
さて、アジリティとは「犬の障害物競走」のことでもある。犬の俊敏な動作を,人間がうまく制御して良いタイムを導く競技である。そこから判断するなら、アジリティには「関係性を俊敏に判断し、行動に移す能力が備わっていること」の意味が含まれる。中田英寿が言いたかったのはそのことではないか。
そう考えてゆくと、建築技術をめぐるいろいろな事件や事故の発生後・発覚後のもたつきが気になる。報道による責任問題の告発は威勢が良いが、関係者が集まっての発生要因の解明や改善策がなかなか進まない。その間に監督官庁による取締強化だけが確実に進むというのが最近の構図である。ここにもアジリティの欠如した状況が浮き彫りになる。
そもそも、アジリティのない建設プロセスというのがありえない。さまざまな連携が現場においてタイミング良く行なわれてこそ、かたちは成立する。現場を軽視する技術者の間でかたちが決められることが、信じがたいトラブルを招来してしまうのだ。