2016/07/06
No. 530
100年企業をめぐっては第521回で語った。その創業から50年遡った150年前は日本の近代の胎動期となる。1868年が明治元年だから、その前年1867年、すなわち来年から遡って150年前は、明治のスタートの準備が完了した年である。そのようなタイミングに合わせて、京都では大政奉還150年、神戸では神戸港(当初の呼称は兵庫)開港150年の記念行事が予定されている。いずれもその年に実現できなかったら、日本の近代の様相は大きく異なったはずのできごとだ。
京都では、大政奉還の舞台・二条城がクローズアップされると、神社仏閣に偏りがちな京都の観光ターゲットが近代寄りに重心が動くかもしれない。それは京都のイメージを広く豊かにするだろう。神戸については、150年の時間のなかで何が起こったかを明らかにするとなかなか面白い。日本にとっても重要な節目が1908年にブラジル移民の第一船<笠戸丸>の神戸港出航である。ブラジル移民は全体で13万人規模だったが、いまやブラジルには160万人の日系ブラジル人が住むという。
神戸は戦災と震災の被害がいずれも甚大だったが、港湾機能はその都度蘇った。港は摩耶埠頭(1959年着工→66年竣工)、ポートアイランド第一期(1966→81)、六甲アイランド(1972→92)などと順調に整備が拡大し、旅客貨物両面で大きく躍進する。一方でもともとの中心であった中埠頭とその周辺は港の風景を保ちながら沈滞した。それでも、150年記念で建設される神戸市の福利厚生施設<神戸ポートオアシス>がオープンすれば、長く眠っていた地域も動くのではないか。
150年を切り盛りするには5-6世代が関わるわけで、先行する世代はその展開を自ら確かめることができない。ゆえにすべてのメッセージは建築や土木構築物を通して語り継がれることになる。近代遺産とそこに流れた時間は雄弁である。