2022/05/18
No. 819
広島県の福山から南へ車で30分ほどの距離にある「鞆の浦」は、近世までは瀬戸内海運の重要な港であった。かつては福山駅から軽便鉄道も走っていたらしい。港に接した中心街は重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、ゆっくり歩きまわるには手ごろな規模である。江戸時代を通じて12回来日した李氏朝鮮による「朝鮮通信使」は、江戸に至る途上で瀬戸の航路を利用したが、1711年の使節たちは、当地の小高い丘にある福禅寺・対潮楼から望む仙酔島や弁天島が浮かぶ眺めを日本第一とし(「日東第一景勝」)、そこから朝鮮まで鞆の浦の名が知られるようになったという。鎖国という単純な視点では抜け落ちてしまうグローバルなつながりが鞆の浦には生まれていた。これは鞆の浦の景観価値が普遍性を持っているからに違いない。
そういう点では、港に常夜燈や雁木(船着き場にある階段状の構築物)が残る貴重な風景に、架橋と埋立てが割り込まなくて良かった。狭隘な街路事情を解決するために湾をまたぐ架橋の計画は多くの議論を惹起したのだが、最終的には政治決断で中止になった。通過交通は隧道で解決する見込みだという。景観問題としては落着したが、観光価値を維持するためには一連の選択は正解である。結果として街路は人と車が共存するかたちだが、「シェアド・スペース」の実践例としてモデルケースになってゆくとよいと思う。それこそグローバルな評価が得られる新しい価値がクローズアップされてもよいだろう。
だからこそ、個々の建物の保全が今後も大丈夫なのかは気にかかる。うまく手が加わり、機能転換して活かされているものもあり、修理が進んでいるものもある一方で、なんとなく手が打たれていないものもある。このような光景はいろいろなところで目にするが、財政的視点、建築的視点などから創意工夫が求められるところである。