2017/07/05
No. 580
AIの進展は目覚ましいものがあるが、AIをめぐる論議もかまびすしくなってきた。素朴な歓迎論に始まって、その脅威を憂える論説が生まれ、だんだんAIといかにうまくつきあうかに中心軸が移りつつある。AIは、膨大なデータから回答を切り出してみせる有能なツールで、要する時間も短くて済む。その利点を活用して、タクシー会社は過去の乗降をめぐるデータをもとにピークタイムを予測して配車するビジネスモデルをつくっている。また、症例データをもとに、眼前の患者の病名を予測するケースもあり、結果として多くの命を救うことが出来るだろう。最近では将棋のニューヒーロー・藤井四段がAIによるデータ解析に学んでいるらしいことが話題になっている。われわれはこの状況をどう見るべきだろうか。
おそらく、それらデータが自動的に利益や勝利を導き出しているわけではないだろう。現在のマーケットが将来の勝ち負けを決めるのではなく、マーケットにあふれる言語が正しく文法に乗っているわけではない(そもそも文法というものは合理的に出来てはいない)。人の成功とは、過去を参照するだけで得られるものではないことは、歴史が証明している。成功をおさめたのはデータをもとに適切に判断ができる能力ゆえである一方、データを活かしきれない人はたくさんいた。
それでも、これからAIの力を借りようとするなら、人間の基礎能力をさらに高めることに意を尽くすべきではないかと思う。大衆は一元的な情報に寄りかかりやすいもの、と決めつけているのは政治家だけかもしれない。人にはまだまだ成長の余地はある。とくに建築設計という仕事は、経験したことのない局面をかたちにする場合に最大の能力を発揮するからこそ、生き残らなければならない職能である。まさに、人の知力の見せ場ではないか。そのとき、AIは頼もしい相棒になる。