2016/03/09
No. 514
1995年の阪神・淡路大震災では、原因が特定された建物火災の6割が通電火災であった、と言われる。地震発生後1時間後以降の火災の40%が通電火災だとの調査もあるようだ。電気が復旧して作動をはじめた電気製品が大きな原因となったのである。1月17日の朝、私は西宮市内におり、周辺至るところでまだ暗いうちに火災が発生した状況を記憶している。確かに、被災地の東寄りエリアである尼崎・西宮は西の神戸エリアより早く停電が復旧したので、あの火の多くは通電火災であった可能性がある。じつはこのような事実は、21年を過ぎた今になってようやく実態が明らかになりつつある。災害からの教訓というものは、このようにロングランの検証を要するものがあり、都市直下型地震への備えはまだまだ脆弱である。
そこから時を経た2011年の東日本大震災は沿岸部を襲い、孤立させたが、発災直後においても復旧復興においても、進展していたネットワーク技術がいくぶん支えの役目を担ったかもしれない。そこは阪神・淡路大震災のときとは異なるもので、被災地を再生するために、情報技術とコミュニティ活性化は効果的に組み合わせるべきである。だが、地域経済を上昇させるための基礎的要件は強くないなかで、多くの困難がみられる。地震が起こらなくても被災三県の人口は減少してきたのである(減少傾向は鈍化しつつあるけれども)。そうした遷移のなかにある教訓も、やはりロングランで汲みあげてゆかねばならないだろう。
3月11日で5年を経た被災地がどうなっているかを復興庁のデータで当たってみると、避難者数は昨年末の時点で18万人(毎年平均4-5万人の減少)。住まいの確保に関する事業は2018年度末まで要すると記されている。復興庁は、2021年3月までの設置期限までにこれをゼロに持ち込むことはできるだろうか。