2016/05/18
No. 523
東日本大震災での気仙沼市(宮城県)の被害は、第一に津波であり、第二に火事であった。4月の末に訪れた当地は、定住住宅の建設が進み、被害を受けたエリアは盛土によるかさ上げが広範囲で進んできていた。そこに水産加工業が戻りつつあるのは希望の星だが、次々と産業が立ち上がるには時間がかかりそうだ。三陸地域は、直接的被害の復興以上に長期的な産業再生が課題である。さて、この風土にあるさまざまな資源を活かすために、どのような人材を育ててゆくか。三陸は歴史のなかでその課題をしぶとく乗り越えてきたが、これからは外部の知恵やネットワークをうまく組み込むことが効果を生むだろう。
それにしても、災害はひとつひとつかたちが異なっている。先日起こった熊本の地震の被災地をそのあと訪ねたが、阪神淡路大震災が面的に住宅の倒壊をもたらしたのに比べると、いくつか様相が異なる。概ね益城町に倒壊が集中しているが、他の自治体でも地盤の弱い箇所がスポット的に被害を受けていたり、外部は守られていても内部の倒壊が目立ったりしている。早期に復旧できたインフラに眼を向けていると、現実との落差にはっとさせられる。
こうした震災にある現実は海外でも大いに関心を持たれている。日本にある、安心安全な建築をつくる技術、都市計画にかかわる技術、諸分野共同による復興のプロセスは、どの国の災害予防にも示唆を与えるだろう。すなわち、日本の経験と知恵をグローバルに展開することは社会的責任と言えるが、日本が幅広くリーダーシップを取る適切なチャンスでもある。三陸には外部の知恵とネットワークが必要だと述べたが、海外で起こった甚大被災地に対して日本が外部から手を差し延べることは効果的なのである。
さて、気仙沼市では松崎尾崎地区の尾崎神社を訪ねた。震災時、神社のある標高10メートルの小山には近隣住民が避難し、津波を凌ぎ切った。危ない時にはここに避難せよとの言い伝えが平時からあったという。このような情報を共有することも、グローバルに通じる知恵として伝えたいものである。