2009/10/14
No. 200
久しぶりに、愛媛の県都・松山に出かけた。市内主要道に敷かれた伊予鉄道松山市内線は、小気味良いリズムを刻みながら街の風景のなかをころがってゆく。大手町の電停あたりを行き過ぎるとき、電車は、同じ伊予鉄道の郊外へ向う専用軌道線と直角に交わる。電車が電車を待つという、こうしたドライな平面交差は、今やほとんど国内に例がない。かつて阪急・西宮北口駅にあり、西鉄・薬院駅にあったそれは、かのタモリ氏を鉄道に目覚めさせたポイントだったらしい。私もこれら3つの事例を現地確認できたことになる。
さて、市内線が終点の道後温泉駅に至ると、そこは温泉街の入口。小ぶりな商店街を折れて抜けたところに現れる悠然たる構えが、湯のまちの顔、「道後温泉本館」(重要文化財)だ。そこには、私が35年前に訪ねた記憶と異なる穏やかさがあった。何が変わったのだろう? あれから、さまざまな知恵が用いられ、本館の前に整備された広場と、そこへたどりつく道のりが丹念に整備されている。新たな視点を加えて既存の景観要素を再構成することで、道後あるいは松山の穏やかで好ましい印象が維持できた。ちなみに、平面交差の存在は、既存の交通体系がまだ活力があることを示すものでもあろう。
35年前には、この地の医学部に入学した友人を訪ねにきた。彼とは、将来が確定しない、受験時代の独特の時間を共有しあう間柄であった。今回の再訪で酒を酌み交わした彼は、それからこの地で腕を磨き、いま教授として後進を丁寧に育て、ひとりの医者としても敬愛される存在になった。おそらく、人生のどの段階も現在にとって等しく意義のあるものだが、あの時期は助走以上の意味は持っていた。時の経過は徐々に隠れていた意味を浮かび上がらせてゆくものだが、たどったプロセスに自覚的であれば、多様な知恵を取り出すことが可能になる。都市や建築の再